はずれた時間と空間の中でーオル太 『TRANSMISSION PANG PANG』|林立騎
2020年の東京オリンピックを前に、オル太は都市に遍在する競技と勝敗のありように注意を向けている。2017年から継続中のプロジェクト『超衆芸術 スタンドプレー』では、宝くじ売り場の光景や、駅構内や公園から路上生活者を排除する行政の言葉を収集することで、競技と勝敗はスタジアムの中だけに存在するのではなく、誰もが勝負し、誰もが賭け、勝者と敗者が生まれ、敗者はさらなる敗北へと締め出されていく今の時代を記録し、再現してきた。それはスポーツの身振りと政治の身振りを重ねたポーランドでの『スタンドプレー』路上パフォーマンス(アタックする、拍手する、指名する…)においてあからさまに示されていた。古代ギリシャに起源をもち、近代に再興され、とりわけナチスドイツのベルリンで政治的に利用されたオリンピックは、勝敗への参加と勝負に向けた訓練が現代の生の条件であることの象徴として機能する。オリンピックはまた記録映画やテレビ中継などメディアによる伝達(Transmission)と切り離せない。ゆえにオル太のパフォーマンスは、現代生活の「競技」を決して無批判にドラマチックに再現せず、3DCGやスケッチや会話の断片を使い、特に「笑い」を引き起こすような言葉や状況を集める。競技場、レース場、劇場と都市生活に実質的な差がなくなっているような時代に、オル太は日常の風景を記録し、集め、伝達する身振り自体を作品化し、パフォーマンスへとずらし、日常と芸術を隔てる壁をぼかしていく。日常への関わり方の梃子に乾いた笑いを差し挟むことは、深刻に政治化しないための方法論だろう。政治を真正面から問い始めれば、それもまた勝負に堕ちてゆくことにしかならず、同じ土俵に上がった時点で芸術は敗北の陶酔に自己満足しかねない。競技と勝敗への信仰に基礎づけられているこの世界に、勝負のないユートピアや別の勝利を夢見るのではなく、現実の勝負の中に少しはずれた時間と場所を見つけることがかれらのアプローチである。
『超衆芸術 スタンドプレー』と同じ2017年にボードゲームのプロジェクト『TRANSMISSION PANG PANG』は始まった。インドに由来し、英国の植民地主義に「発見」され、今では欧米で親しまれている「蛇と梯子」を元につくられたオリジナルのボードゲームを、アーティストと参加者がともにプレイする。ゲームで使うカードには、日本各地、沖縄、韓国の様々な祭事や民謡の身振りと道具、飲酒や歌唱や舞踊などの行為が記され、複数のチームに分かれたプレイヤーは、カードに描かれた道具や行為をその場で組み合わせ、異なる土地の伝統や伝承をつなぎ合わせて、他のチームの前や周囲で演じながら、ゲームの駒を進め、ゴールを目指して戦う。わたしは那覇市の「BARRACK」で上演に立ち会い、沖縄の海岸で開催された際の様子を映像で見た。
ボードゲームを通じて現代における伝承や伝達のあり方を問うこのプロジェクトも、やはり一つの勝負のかたちをとっていた。しかもオル太によるパフォーマンスではなく、アーティストと参加者がともに戦う。どんなに和やかな雰囲気でも「争い」には変わりなく、勝者と敗者が生まれる。ルールがあれば従い、指示されれば拒否することなく、当然のようにそのとおりに動いてしまう。ゲームと社会に共通するあやうさは消えず、決してルールから自由なユートピアがボードの上に広がっているわけではない。しかし『TRANSMISSION PANG PANG』は社会化された多くの勝負とは異なってもいた。
まず、ルールはたしかにあるが、よくわからない。勝つために何が必要か、どうすればこのゲームで強く、あるいは美しくあることができるのかが、一目で分かるほど明確ではない。また、カードが指示する身振りや行為は、様々な祭祀や歌の断片であり、日常にはない所作ばかりで、見ず知らずの他人の前で演じるにはためらいを感じるもの、恥ずかしいものも多く、心から楽しみ、夢中になり、本気で勝ちを目指すことが難しい。多くの参加者は苦笑いで恥ずかしさを糊塗しながらプレイする。そして長い。参加者の予想を越えていつまでもゲームが続くので、誰もが次第に疲れ、他の参加者が踊ったり歌ったりしていても、つねに注意を向けることができなくなる。時は弛緩し、注意は散漫になり、勝負は延々と、淡々と続いていく。最初の興奮も集中も次第に失われ、どこに向かってゲームをしているのかが曖昧になり、意味を求めることもなくなっていく。なんのためにこんなゲームをしているのだろう、この時間をこんなことに使っていていいのだろうか、別の場所で別のことをすればよかったと思う者もいたかもしれない。それは逆に言えば、普段のわたしたちの時間は、なんのための時間か、なにを目的とした空間と行為かが一瞬ごとに明確で、この作品が生み出すような不確かな時間がほとんどないことを示している。あらゆる時間と空間が目的と意味を与えられている。このボードゲームは多くの行為で中断され、長く複雑なので、自分が勝ちに向かって進んでいるのか負けに向かって進んでいるのかさえ、次第にわからなくなってくる。ゲームであり勝負であるというには、あまりに興奮が高まらず、拍子が抜け、拍子から外れ続けていく時間と空間。最後には誰もが疲れ、もはや勝ちたいという意志はほとんど消えて、「あと少しなので頑張りましょう」と励まし合う共同性が生まれる。目的も勝敗も忘れ、ゲームが終わると労苦をねぎらい合うように、ただともに飲食するのだった。
時間と空間は、集中や緊張、味方の勝利と敵の排除へ尖るのではなく、ゆっくりと丸まり、輪郭がぼやけていった。しかしだからこそ勝敗の結果だけを「点」として残すのではない、ゲームや競技の別の姿があらわれていた。集まって、出会い、プロセスをともにする、その引き延ばされた時間、共有された空間そのものに、ゲームや競技の本当の内実があることが、身をもって感じられるのだった。勝敗だけに(メディア的な)特権を与え、それまでのプロセスをほとんど消し去り、観客を含めて多様な人が出会い、何が起きるかわからない場が生まれることそのものの意義を見ようとしない今のゲームや競技の感じ方は、歴史的に特殊なもので、こうした「ゲームの感覚」自体が社会的 政治的に構成されてきたのではないか。ゲームや競技は、むしろそのプロセスの中で参加する個々人が変身し、変容し、相互の理解が変化し、予測不能の展開が生じる可能性をもっている点においてこそ、共同体や社会にとって重要だったのではないか。ほとんど日常と地続きの中で、リラックスしながら、しかし普通とは異なるボードゲームをプレイすることによってゲームの感覚そのものを異化し、変容へ向かわせるオル太の『TRANSMISSION PANG PANG』は、政治的社会的と思わせることすらないままに、人の集まりと出会いの政治的社会的な価値を問い直す実践になっていたのである。
この時間の中だからこそ、アジアの異なる土地や祭祀の数々も出会うことができた。 コレクティブのあり方としても、作品としても、オル太は一つのものへと融合しない。 あらゆるものが出会いと組み合わせとして共存する。それは純粋性を目指さず、つねに本質主義を避けるということだ。「これが新しい伝承のあり方だ」と示すのではなく、「これもまた伝承になるのだろうか」という問いが無数に浮かび上がる装置をつくる。 ほとんど関係のなさそうなものたちが出会うことのできる時間と空間を生む。あらゆる伝統はかたちを変えずに純粋に存在してきたのではなく、つねに出会いと変容のプロセスにあったのだ。その歴史の小さな模型でわたしたちは実験をして遊んでいた。
多くの祭りを融合させ、新しい祭りのようにパッケージ化したパフォーマンスを示す方が現代の感覚にはわかりやすいかもしれない。しかし融合させる手さばきとスピード感を商品にすることそのものが芸術の評価を巡る社会的な勝負としてすでに存在する以上、オル太はそこに与せず、むしろスピードの出ない装置をつくる。融合の手前にとどまり、出会いや組み合わせの可能性を参加者とアーティストがともに体験する点に、「芸能」においても「アジア」においても、オル太の批評的な創造性があった。芸能への取り組みが過剰な保守主義に新しい装いを与えてしまう危険を回避し、アジアというテーマが一つの中心による支配と拡張につながってきた歴史への応答もこの作品には含まれていたのである。結果として生まれるのは散漫な時間であり、複雑で雑多な共存の場なので、一つの正解を求め、正しく解釈しようとする心にとってはわかりづらかったかもしれないが、しかし参加者は誰もがそこから何かを取り出し、自分なりに理解し、持ち帰ることができた。小さな個人的な伝承が共同で組み合わさる場だった。
そして『TRANSMISSION PANG PANG』は、那覇市の小さなビルの屋上に吹く風とともにあり、沖縄の海岸に轟く戦闘機の騒音とともにあった。どれほど昔から吹いているかわからない風や、おそらくは芸能と同じほど古く、同じように現代まで続いている戦争(あらゆる勝負の一つの原型)の現在を身体的に感じることは、芸能の伝承やアジアの未来にとって無関係ではなかった。芸能、土地、基地、戦争、過去、現在、政治、経済、芸術。言葉で話し合おうとするとばらばらになり、複雑化して分かれてしまうものたちが、このボードゲームが生む立体的な時間と空間に感覚として広がった。ゲームの最中に対話や議論が起きなくても、からだは全てを同時に感じ、全てを同時に考え、 出会いの場においては誰もが言語化しないままに全ての問題に飲み込まれた。この作品がもたらす関係、つながり、古さと新しさの中に含まれることが、伝承の可能性と課題と現代の状況を、言葉だけでは不可能なかたちで感じ、考えることに結びついていた。
カードの完成度は高いのに、シュレッダー屑で作られたマレビトの衣装は軽かった。ゲームの時間は散漫で、海岸で遊ぶ休日の時間が速く見えた。各地の芸能に歴史があり、社会的な背景があり、「アジア」はそれらのつながりに浮かんでは消えるようだった。無数の問いや感覚の断片が共存し、一つのゲームとして装置化されていた。その装置が拡散した時間と空間をつくるからこそ、一つの結論に至ったり、なにかをわかったような気になることはできなかった。いつの間にか夜が訪れ、あたりには人気がなくなった。月が光った。ビルの屋上に風が吹いた。時おり海岸を戦闘機の鋭い騒音が切り裂いた。暗かった。何を続け、何のために伝承するべきなのだろうか。何を今すぐにやめて、もはや伝承すべきでないのか。それは人間の意志で決められるのか。あるいは決められないのか。何が、何のために、どこで日々伝承されているのか。何が勝利で、何が敗北なのだろうか。それは誰にとってなのか。何が笑えることなのか。誰が笑っているのか。そうした全てが本当はとてもわかりづらいことなのではないか。この世界のどこにわかりやすさを求められるのだろうか。この生のあり方、生活の仕方全体の中で、伝承を、競技と勝敗を、芸術を見つめ続け、実践を続けるしかない。オル太というコレクティブは、そしてオル太のつくり出す一つひとつの作品は、内部に多様性と複雑性を強く渦巻かせているにもかかわらず、つねに一種の落ち着きと安定感に包まれている。それは芸術を通じて日常に関わることでしか考えられないことや感じられないことがあり、この実践を他に替えることはできないという実感が、根底に揺るがずにあるからだろう。オル太のつくり出すこの安定しながらはずれた時間と空間の中で、ためらいや恥じらいさえも包み込む場違いな安定感の中で、わたしたちが出会い直すべき風景、問い直すべき生活、力を抜きながら、まっすぐに笑い直すべきことどもが、まだ無数にあるだろう。